(ルカ1.47-55)
わが霊魂(れいこん)は主(しゅ)を崇(あが)め奉(たてまつ)り、
わが精神(せいしん)はわが救(すく)い主(ぬし)なる天主(てんしゅ)によりて喜(よろこ)びに堪(た)えず。
そは御召使(おんめしつか)いのいやしきを顧(かえり)み給(たま)いたればなり。見(み)よ、今(いま)よりよろずよにいたるまで、人(ひと)われを幸(さいわ)いなる者(もの)ととなえん。
けだし全能(ぜんのう)にまします御者(おんもの)、われに大事(だいじ)をなし給(たま)いたればなり。
聖(せい)なるかな、その御名(みな)。
その御(おん)あわれみは、世々(よよ)これをおそるる人々(ひとびと)の上(うえ)にあり。
みずから御腕(おんうで)の権能(けんのう)を現(あら)わし、おのが心(こころ)の思(おも)いにおごれる人々(ひとびと)を打(う)ち散(ち)らし、
権力(けんりょく)ある者(もの)をその座(ざ)よりおろし、いやしき者(もの)をば高(たか)め、
飢(う)えたる者(もの)を佳(よ)き物(もの)に飽(あ)かせ、富(と)める者(もの)をば手(て)を空(むな)しうして去(さ)らしめ給(たま)えり。
御(おん)あわれみを忘(わす)れず、そのしもべイスラエルを引(ひ)き受(う)け給(たま)い、
われらの先祖(せんぞ)に宣(のたま)いし如(ごと)く、そをアブラハムにも、その子孫(しそん)にも世々(よよ)に限(かぎ)りなく及(およ)ぼし給(たま)わん。
願(ねが)わくは、聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)とに栄(さか)えあらんことを。始(はじ)めにありし如(ごと)く、今(いま)もいつも世々(よよ)にいたるまで。
アーメン。
(参照:『公教会祈祷文』)